リーダーについて
にーはお
2年ぶりにブログ書いてます、、、
会社のWebサイトをリニューアルしたら、意外とそこから、このブログにアクセスされてたので、ちょっとずつ書いていこうかなと。
さて、「新型コロナウィルス」の影響で、世界中が大変なことになってますね。。。
毎日毎日、感染に関する情報が目まぐるしく変わって、デマも出回って、正確な情報を把握することすら難しい。
そんな手探りな状況でも、国家規模だけじゃなくて、各企業、各組織、各家庭で、毎日、沢山の「決断」が必要に迫られてます。
情報が足りないから、子供を放っておくわけにも、学校を閉鎖しないわけにも、満員電車に乗り続けるわけにもいかない。
毎日、誰かが「決断」しなきゃいけない。
この騒ぎの中で、今まで経験したことがないほど沢山の「決断」をした人が多いと思います。
それは、会社や学校や家庭で、どれだけみんな膝を突き合わせて、「衆議」したところで、最後は、誰か一人が「決断」をくだして、責任を負わないといけない。
その「決断」をすることこそが、「リーダー」の最も大事な役割で、むしろ、それ以上に大事な役割なんてない。
ただ、それが出来ない「リーダーっぽい」人が多いから、後手後手な、今の日本の状態のようなことが起こってしまう。事なかれ主義。
よくリーダーは孤独だというけど、そりゃそうで、誰でも分かる「当たり前の事」を決めるのは、「決断」じゃなくて、ただの「判断」でしかない。
感染するより、しないほうが良い。 当たり前。
問題は、選択肢が無限にあったり、意見が分かれるような「微妙」な問題の場合。
例えば、選択肢が4つあって、投票するとこんな風になる問題。
A:50票
B:10票
C:5票
D:35票
この場合、B:10票を選択するとどうなるか?
A,C,Dの90人は、不満を持つ可能性が非常に高い。
それでも、確固たる自信や信念を基に、Bが良いなら、リーダーは、Bと「決断」しなきゃいけない。
不満を言われようが、なんだろうとBと言わなきゃいけない。
ただ、「リーダーっぽい」人は、この90人を恐れて「決断」しなかったり、もっと
悪いのは、A:50票を選んでしまう。
それは、決断じゃなくて、ただの多数決。
「リーダー」なんて要らない。
でも、難しくて、不確かで、不透明な霧の中でも、誰かが覚悟して「決断」しないと、多くのことは良い方向に進まない。
その「決断」で失敗したなら、真摯に受け止めて、責任をもって「謝罪」して、再スタートを切る。
それでいい。
周りを恐れて、「リーダーっぽく」、出来るだけ不満が出ない、嫌われない不本意な「判断」をするよりは、よっぽど勇気を持って、チャレンジした、失敗した「リーダー」のほうが、大きな可能性を感じる。
ネガティブは気分、ポジティブは意志
新型コロナの影響で、多くの人に「決断」が求められる時期だからこそ、そんなことを考えていました。
早くこの危機が収束して、平穏な日々が戻ってくることを願っています。