目的と手段を履き違えるな
人間はあっさりと目的と手段を履き違える。
謂わば、練習のための練習をするようなもの。(私の高校時代のサッカー部監督からよく言われた。。)
先日、友人の奥さんの誕生日で、上海でそこそこ有名なタイ料理のお店に行った。
仲の良い友人8人ほどで食事して、誕生日ケーキの火を消したと同時に、お店の電気が突然落ちた。
どうやら、そのお店の周辺一体のエリアが落ちたらしい、、、
まあ、中国だから工事のオッチャンが間違えて、何かの線を、何かの勢いで、何かで切ったんだろうなと思っていると、電気が落ちたせいで、食事もストップして、レジが開かずお会計すらできなくなった。
友人の奥さんの誕生日をお祝いする日だというのに。。。。
で、この出来事に対して、2つの対応が現れた。
1つ目は、お店の問題なのだから、割引、もしくは、すぐに帰らせろと店員に怒り始める人。
2つ目は、お店の人も大変だし、急いで帰らずみんなで楽しもうよという人。
ちょうど半々ぐらいだったと思う。
この場合、みなさんならどうするだろう?
私は、2つ目を選択した。
なぜなら、目的は、「誕生日の奥さんと楽しく過ごす」だから。
ところが、結果的に、「早く帰らせろ」の声が大きく、かなり微妙な空気で帰宅。。。
ちなみに、その奥さんもドンドン機嫌が悪くなって、「まあまあ」って言ってた旦那さんにもブチ切れ。。。
本当に仲の良い友達グループなんだが、この件については教訓になった。
中国では、騙したほうより騙されたほうが馬鹿だといった雰囲気がある。
その影響もあってか、言うべきことは声を大にして言うのが正しい!となる。
確かに、わざとやった場合や、ビジネスの現場では、私も以前に比べて相当言うようになったと思う。
今までも幾度となく、ケンカもしてきた。(不良品送ってきたり、騙したりされるから、、、)
ただ、基本的には、お互い思いやりをもった日本の社会のようでありたいし、まして、目的は楽しむことの場合は、闇雲に怒ったりするのは間違った選択のように思う。
こうやって見ると、皆さんの大半の人は、「そんなの怒らないでしょ!」と言うかもしれないが、この場合のように目的と手段が完全にすりかわるようなことはよくある。
例えば、当事者になると、自分の意見に自尊心が芽生えて、自尊心を守るための戦いが会議の場でもよく繰り広げられている。
所謂、議論のたもの議論だ。
こういった状況を回避するためには、明確な目的意識が必要だと思う。
そして、それをチェックする習慣も。
ちなみに、これと同じことをビジネスの取引においてもやっていることが多くある。
中国に進出している日系企業で多く見られるのが、
例えば、
「やった感を出すためのキャンペーン」
「仲良しごっこの取引」
などがある。
広告においては、スポットのキャンペーンを打ったりはするが、あまりに大きくて戦略的に考える必要があるマーケティングという壁を諦めて、できることを宝くじ感覚でやった感じでやる。
キャンペーンなんて、毎日どこかで、誰かが、消費者の獲得のために躍起になって行なっている中で、効果的だ!と思えるようなものを提供するには、それなりの予算もリソースも準備も必要だ。
ところが、現場では、宝くじ狙いのように、できるだけ予算をかけずに、劇的な効果を出したい!という無戦略な動きが多く見受けられる。
それ以外にも「仲良しごっこ」だ。
日本でも昭和営業的なものは、未だに存在するし、人間関係が必ずしも無意味だとは思わないが、中国の現場(特に、日系企業の中国人担当者)では、所謂、コネの存在が多すぎる。
人材の採用もしかり、会社の中核に位置するマーケティングに関する重要な決断においても、本当の意味で効果的なものよりも、知り合いや友人のサービスを採用することがよくある。
バブル期の中国であれば、それでも回っていたかもしれないが、これからは難しいだろう。
目的を無視して、手段にばかり目を向けることを繰り返していると、長期的に振り返った場合に、何も残っていない!ということになりかねない。
誕生日でもそうだし、会議でもそう、キャンペーンについても同じである。
「7つの習慣」で言うところの、「ガチョウと黄金の卵」だ。
「黄金の卵」のために「ガチョウ」を殺していることに気づかなければならない。