【読書感想】スティーブ・ジョブズを読んでみて
中国の旧正月の連休を利用して、バンコクとチャーン島(象島)でリラックスしつつ、書籍:スティーブ・ジョブズの上下巻を読んでみた。
- 作者: ウォルター・アイザックソン,井口耕二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/10/25
- メディア: ハードカバー
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まず、この偉大な発明家であり、思想家であり、起業家であるスティーブジョブズに、海よりも深い敬意を表すると共に、彼の死を大変悲しく思う。
この本では、彼の挑発的なところも、幼いところも、クールなところも全て余す事無く表現されている。
その詳細な日常生活や言動・行動を描写することによって。
著者のウォルター・アイザックソンは膨大な時間をかけてこの偉大な男の過去や日常を調べあげ、その男の真実を出来る限り忠実に、中立な立場で書き上げている。若干、偉大さに偏っている部分はあるにせよ。
著者に対しても、この歴史的な物語とこの偉大な男の中身を見せてくれたことに、心から感謝したい。
本書の中では多くの学びがあった。
その中の3つがこれだ。
1:情熱を伴った推進力こそが不可能を可能にする
2:多様性の中からクリエイティビティは産まれる
3:人間関係のあり方を違う確度から見せられた
1:情熱を伴った推進力こそが不可能を可能にする
ジョブズがアタリで働いていた時に、ウォズのチカラを借りて、素晴らしいゲームを作るという場面がある。
ウォズのチカラを借りた上に、嘘をついて5000ドルの報酬を700ドルと嘘づいて、350ドルしか彼に渡さなかったんだから、ウォズを利用してお金を稼いだヒドい男の話のようにも見える。
でも、ここから僕は、彼の目的達成への推進力の強さを感じた。
彼は、「正しいと思ったこと」、「想像の中にあって実現したいと思ったこと」を、どんな手を使っても実現させようとする。
その瞬発力と推進力が恐ろしい程に強いのだ。
ウォズが趣味で作っていた、モニター付きのコンピューターを見て、売れると確信した時、ジョブズはウォズにコンピュータークラブでのプレゼンを強要する。
この場面でも、彼はコンピューターを見た瞬間から売る事を考え、ウォズが嫌がるのを無視して、プレゼンに連れて行く。
そこで、バイトショップの社長と知り合い、翌日には会いにいってるし、更に、受注までしてしまう。
実現できるかどうかの基準も目測もなくだ。
それすらも、仲間を集めて実現してしまい、製品が不完全でも売り切ってしまう。
今度は、そこで得た新しいアイディア(一体型PC)を実現することを考えて、生産するための出資を募る。
そのために数百という電話をかけ、あまりの粘り強さに、マイク・マークラと出会い、9万ドルを提示されるところまで引き出す。
それでも満足せずに出資額をつり上げ、あり得ない金額を提示し、出資を獲得し、製品を開発。
アップル2は、大ヒットとなりコンピューター業界を一新してしまう。
この創業時の短い物語の中だけでも、とても20歳やそこらの若者が越えられそうも無い壁が沢山あったはずだ。
逆に、普通なら諦めてしまうような壁ばかりだとも言える。
それでも、彼は全ての壁を越えられると信じて、はしごをかけたり、壊したり、飛び越えたり、あらゆる手段を使って、解決の切れ端を掴みとり、引き出してしまう。
この情熱と推進力こそが彼の常人離れした特性なのかもしれない。
でも、この特性は考え方さえ間違わなければ、全ての人に共通して実現できる可能性のある特性とも言える。
2:多様性の中からクリエイティビティは産まれる
彼は若いうちに自分探しの旅に出かけ、そのために、精神的な世界へと早くから傾倒する。
少し偏りすぎているにせよ、彼の感性に少しでも触れた思想や考え方は試してみて、体験してみて、取捨選択、試行錯誤を繰り替えしていく。
その中で、様々なモノの見方を学び、多くの多様性の中から自分にあったもの、素晴らしいと思うものを選択して、徹底的に実行する。
何が正しいかは別として、そういったプロセスの中で、多様性を養い、クリエイティブな発想、アイディアの種を、自分の目や耳や肌感覚の中に培っていったんだと思う。
少ない思想、体験の中では、「多様性」や「0を1にする創造性」は産まれない。
3:人間関係のあり方を違う確度から見せられた
ジョブズは、すぐに自分の感情をさらけだし、基準に見合わないものには容赦ない叱責をぶちかます。
その素直すぎる性格のせいで、多くの敵を作り、手痛い目にも遭う。
ただそれでも、彼にはそれを上回る程の魅力と人間力があった。
いや、だからこそと言えるかもしれない。
彼は、批判に対しても素直なら、賞賛に対しても素直だ。
(時より計算だっていることもあるにせよ)
欧米の一般的なスタイルなのか分からないが、ちゃんと自分の意見は述べ、衝突することもあるが、それはそういった議論だと納得して、割り切った話し合いができる。
例えば、ジョニー・アイブやビル・アトキンソンとどれだけ議論が白熱して、喧嘩になっても、最終的に友人であることに代わりはない。
欧米では、人付き合いの中に必ずしもお酒が必要なわけではないし、まして、女性をあてがう必要もない。
彼らは、より重要な人間関係を考える時には、家族も総合して当人を判断しようとする。
だから、自分や相手の奥さんも含めてディナーをするし、場合によっては、自宅に招いたり、子供達に会わせることもよくある。
こういった文化は、日本にはないし、アジアにもあまりないかもしれない。
確かに、アジアでは、人間関係を重視するが、接待など酒の席である場合が多いし、人間性を見るというよりも、楽しませることで、恩を売ったり、慣例であったりする場合が多い。
実際には、そういった場で、どこまで人間を見れるだろうか。
ジョブズは、敵も多かったが圧倒的な支持者も多かった。ファンと言っても良い。
そのファンたちは、一般人だけではなく、もちろん一流の人間も含まれている。
なぜか?
彼が有する「物事や人間を二分する考え方」の中で、最高の人間や最高のモノと判断されたグループには最高の敬意を払うからだ。
最高の人間だと判断されれば、時間があけば電話はするし、突然家を訪れることだってする。
ディナーに招くこともあれば、散歩に誘うこともある。
そうやって、時間をかけて自分という人間を知ってもらい、また、相手を知ろうとすることで、人間関係を(ある程度)上手に構築していっていたんだと思う。
こういった関係構築の仕方もあるのかと、非常に勉強になった。